ニーチェ 私にとってのコペルニクス的転回

この所、ずっとフランクルを読んでいる。
フランクルを読んでいると、ニーチェが読みたくなってくる。
『ツァラトゥストラ』は時間に余裕ができたら読むことにして、とりあえず簡単な入門書を2冊読んだ。

実は、ニーチェ=ニヒリズムという単純な図式が頭の中にあり、肌に合わないものとして、今まで正面から取り組むことはなかった。


コペルニクス的転回とは、フランクルの専売特許だとばかり思っていたが、ニーチェも私にとっては、コペルニクス的転回だった。いや、それ以上の驚きだった。

宮原浩二郎『ニーチェ』の中に、こんな問いがある。

誰にでも不本意な過去がある。取り返したくても取り返しのつかない過去がある。
いくら怒ってもどうしようもない。どんなに歯ぎしりしても過去は消せない。

さて、これに対してどう答えるか。

ツァラトゥストラは言う。
すべての「そうあった」を「私がそう欲した」ものとして引き受ければよい。意志が過去に遡って、逆戻りして意欲することを学べばよい―と。

私の頭の中を衝撃が走った。
胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
感動、感激・・・。
まさにコペルニクス的転回―というよりそれ以上の衝撃だった。
ツァラトゥストラが永劫回帰を飲み込めなかったように、すぐにはこれを飲み込むことはできないかも知れないが、まずはしばらくこの余韻に浸っていたい。

Leave a Response